LOGIN腹を抱え、涙が出るほど楽しそうに。狂気じみた高い笑い声が、狭い部屋の壁に反響して耳を劈く。
「ああ、傑作だ。……天道もご苦労なことだねえ。あれだけ汚れ役を被って、泥をかぶって君を守ったのに、肝心の君には『何もしてくれなかった』なんて思われているんだから」「……どういう、こと?」 笑いが止まり、蒼が真顔に戻る。 眼鏡の奥の瞳は、深淵のように暗く、光を吸い込んでいる。「教えてあげようか、莉子ちゃん。……本当の『真実』を」 彼はガウンのポケットから、一枚のICレコーダーを取り出した。黒くて小さな機械。それが、開けてはならないパンドラの箱だとは知らずに、私はただ見つめていた。「これを聞けばわかるよ。……誰が君の家を壊し、誰が君を守ろうとしたのか」 蒼が再生ボタンを押した。 ザザッ……という乾いたノイズの後、男たちの話し声が聞こえてきた。もう何年「……え?」「この別荘の周りには、僕の私兵を配置してある。……武装したプロたちだ。もし天道がのこのこ現れたら、蜂の巣にしてやるよ」 蒼は狂ったように笑った。「君の目の前で、愛する男が肉塊に変わるのを見れば……君も少しは大人しくなるかな?」「やめて……! お願い、彼には手を出さないで!」「遅いよ。……もう賽は投げられたんだ」 蒼は窓の方を指差した。「聞こえるだろう? ……雨の音が」 激しい雨音。風の唸り。 窓の外では、嵐が世界を飲み込もうとしていた。「この嵐の中、彼は必死に君を探しているはずだ。……哀れな獣だね。罠があるとも知らずに」 蒼は部屋を出て行こうとした。私は床を這って追いかけ、彼のガウンの裾にしがみついた。「お願い! やめて! 私が悪かったから……言うことを聞くから! だから征也くんだけは……!」「……もう手遅れだよ」 蒼は冷たく私を見下ろし、足を振り払った。「明日の朝、手術が終わったら……君に新しい首輪をつけてあげる。……僕だけの、永遠の首輪をね」 バタン。 ドアが閉められ、鍵がかかる音が響く。私は床に突っ伏して、声を上げて泣いた。「うあぁぁぁぁ……ッ!!」 ごめんなさい。ごめんなさい、征也。ごめんなさい、私の赤ちゃん。 私のせいで。私が馬鹿だったせいで、あなたを死なせてしまうかもしれない。 悔やんでも悔やみきれない。恐怖で体が震え、涙で息ができなくなるほど泣きじゃくった。 どれくらい、そうしていただろう。 嵐の音だけが響く部屋で、涙も枯れ果て、ただ床の冷たさだけが肌に沁みてくる。 指一本動かす気力もない。この
世界が、反転した。 征也の冷たい態度。『俺がやったことに、なっているのか』という、あの日の自嘲気味な呟き。『俺を人殺しだと思って生きろ』という、突き放すような言葉。 あれは全部、私を守るための嘘だったんだ。 私に真実を知らせて傷つけないために。私が信じていた幼馴染の裏切りを知って絶望しないように、自ら悪役を引き受けて、泥をかぶっていたんだ。(……なんてこと) 私は、何てことをしてしまったんだろう。 命がけで私を守ってくれた彼に、「人殺し」「汚い」「触らないで」と罵声を浴びせてしまった。一番傷ついている彼の心に、さらに深い傷を負わせてしまった。「……あ、あぁ……」 後悔と絶望で、胸が張り裂けそうになる。 征也。ごめんなさい。 あなたは、ずっと私を守ってくれていたのに。不器用で、言葉足らずで、でも誰よりも深く、私を愛してくれていたのに。「ようやく分かったかい? 莉子ちゃん」 蒼が、私の頬を伝う涙を冷たい指で拭った。「彼は君には相応しくないんだよ。……だって、君を守りきれなかった『敗北者』なんだから」「違う……!」 私は叫んだ。喉が裂けそうになっても構わなかった。「彼は負けてない! ……私が、愚かだっただけよ! 彼を信じてあげられなかった、私が弱かっただけ!」「まだ彼を庇うのかい?」 蒼の顔から、表情がすっと消える。 残ったのは、爬虫類のような冷たい嫉妬と、濁った殺意だけ。「いい加減に目を覚ましなさい。……彼はもう来ない。君は一生、僕の檻の中で暮らすんだ」「来るわ!」 私は言い返した。涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて、彼を睨みつける。「彼は来る。……絶対に、私を迎えに来る!」「……根拠は?」「愛してるからよ!」
「……あなたが?」「そうさ。経営不振に見せかけた、計画的な倒産だ」 彼は私の乱れた髪を指で弄びながら、淡々と続けた。まるで、昨日の天気の話でもするように。「でもね、計算外のことが起きたんだ。……ハイエナが一匹、嗅ぎつけてきた」「……ハイエナ?」「天道征也だよ」 蒼の整った顔が、憎々しげに歪む。「あいつは、僕の計画に気づいたんだ。……当時まだ学生で、金も力もなかったくせに、必死になって君の家を守ろうとした」「え……?」「あいつは自分の全財産を投げ打って、さらに怪しげな筋から借金までして、月島の債権を買い集めたんだ。……僕たち銀行団に渡らないようにね」 心臓が、早鐘を打つ。 書斎の金庫にあった書類。『譲受人:天道征也』の日付。 あれは、会社を乗っ取るためじゃなかったの?「彼はね、君のお父さんに提案したんだ。『会社を立て直すまで、俺が債権を預かります。経営権はそのままにして、一緒に再建しましょう』って」 再建。 金庫の奥に残されていた、もう一冊のファイル。『月島ホールディングス再建計画書』。 あの時、私は怒りに任せて中身を見ようともしなかった。「……じゃあ、征也くんは……助けようとしてくれていたの?」「そうだよ。馬鹿な男だよね。……何の得にもならないのに、ただ君の笑顔を守りたい一心で、泥舟を支えようとしたんだ」 涙が、じわりと視界を滲ませた。 知らなかった。何も知らなかった。 彼があの頃、どんな思いで私の家の事情に関わっていたのか。私に向けられたあの冷たい言葉の裏に、どれほどの熱が隠されていたのか。「でも、無駄だった」 蒼が冷たく言い放つ。「僕が手を回して、再建計画を妨害したからね。……物流を止め、取引先を脅
腹を抱え、涙が出るほど楽しそうに。狂気じみた高い笑い声が、狭い部屋の壁に反響して耳を劈く。「ああ、傑作だ。……天道もご苦労なことだねえ。あれだけ汚れ役を被って、泥をかぶって君を守ったのに、肝心の君には『何もしてくれなかった』なんて思われているんだから」「……どういう、こと?」 笑いが止まり、蒼が真顔に戻る。 眼鏡の奥の瞳は、深淵のように暗く、光を吸い込んでいる。「教えてあげようか、莉子ちゃん。……本当の『真実』を」 彼はガウンのポケットから、一枚のICレコーダーを取り出した。黒くて小さな機械。それが、開けてはならないパンドラの箱だとは知らずに、私はただ見つめていた。「これを聞けばわかるよ。……誰が君の家を壊し、誰が君を守ろうとしたのか」 蒼が再生ボタンを押した。 ザザッ……という乾いたノイズの後、男たちの話し声が聞こえてきた。もう何年も前の、古い録音データのようだ。『……おい、神宮寺。本当にやるのか? 月島をつぶすなんて』 聞いたことのない、若い男の声だ。『当たり前だろう。あそこの技術は魅力的だが、経営陣が無能すぎる。……今のうちに債権を買い叩いて、バラバラにして売り払えば、莫大な利益になる』 その声を聞いた瞬間、私の全身の血が凍りついた。 若くて、少し高い、冷酷な響き。 間違いようがない。神宮寺蒼の声だ。『でも、娘がいるんだろう? お前の幼馴染の』『莉子ちゃん? ああ、可愛いよね。……だからこそだよ。彼女がお姫様のままじゃ、僕の手には入らない』 レコーダーの中の蒼が、くすくすと笑う。今の彼と同じ、湿った笑い声。『家を失い、親を失い、路頭に迷ってボロボロになったところを……僕が拾ってあげるんだ。そうすれば、彼女は一生僕に感謝して、僕だけのものになるだろう?』『…
サイドテーブルにグラスを置くと、トクトクと赤い液体を注いだ。豊潤なブドウの香りが漂うはずなのに、今の私には鉄錆びた血の匂いのようにしか感じられない。「……いらない。妊娠中だって言ったでしょ」「おや。まだそんなことを気にしているの?」 蒼は可笑しそうに喉を鳴らし、なみなみと注がれたグラスを私の鼻先に突き出した。「どうせ明日にはいなくなる命だ。……最後に美味しいものを味わわせてあげればいいじゃないか」「……っ、最低!」 私はグラスを払いのけた。 バシャッという音と共に、赤い液体が床にぶちまけられ、白い絨毯にどす黒い染みが広がる。「ああ……勿体ない。ヴィンテージだったのに」 蒼は残念そうに床を見つめ、それからゆっくりと視線を上げ、冷ややかな瞳で私を射抜いた。「……君は本当に、変わってしまったね。昔はもっと素直で、僕の言うことを何でも聞く可愛い子だったのに」「私は変わってない。あなたが狂ってるだけ!」「狂っている? 僕が?」 彼はゆっくりと私に近づき、ベッドの端に腰を下ろした。マットレスが沈む。逃げようと身をよじった私の足首を、彼の手が素早く掴んだ。 ひやりとした、爬虫類のような冷たい手。「違うよ、莉子ちゃん。狂っているのは、君をこんな風に変えてしまったあの男だ。……天道征也だよ」「……彼の悪口を言わないで」「悪口? 事実を言っているだけだよ。……あいつは君の親の仇だ。君の家を潰し、父親を自殺に追い込んだ張本人だ。そんな男の子を必死に守ろうとしている君の方が、よっぽどどうかしていると思わないか?」「……っ」 言葉に詰まる。喉元に鋭い棘が刺さったように、息苦しい。 その事実は、否定しようのない傷だ。どんなに征也を求めても、その罪だけは消えない。彼自身が「否定はしない」と言った
部屋に押し戻され、外から鍵を回す音が響いてから、どれくらいの時間が過ぎただろう。 窓の外は、夜というよりは泥のような闇に塗り潰されている。ガラスを叩きつける雨音が不規則なリズムを刻み、時折走る稲妻の青白い光が、窓に嵌められた鉄格子の影を床に長く伸ばしては消えた。 私は、蒼に切り裂かれたアンティークドレスを脱ぎ捨て、部屋の隅で膝を抱えていた。薄い毛布を頭からかぶり、自身の体温を逃がさないようにうずくまる。 首元に残ったサファイアの石を、指が白くなるほど強く握りしめた。 寒い。 空調の音は微かに聞こえているはずなのに、骨の髄まで凍りつくような悪寒が止まらない。 神宮寺蒼という男の底知れなさ。 彼は私を愛してなどいない。私という素材を、自分の好みに切り刻んで標本箱に収めたいだけだ。明日の朝になれば、私は手術台に乗せられ、麻酔で意識を奪われる。そして目が覚めた時には、お腹の中の温かい命は消え失せ、心も体も空っぽの人形として、あの地下室のコレクションに加えられるのだ。 嫌だ。 奥歯を噛みしめる。顎が痛くなるほど食いしばる。 絶対に渡さない。たとえ父の仇の血を引いていたとしても、私の中に宿った、征也との唯一の繋がりなのだから。 その時だった。 コツ、コツ、コツ。 廊下の静寂を破り、革靴の音が近づいてくる。 また、彼だ。心臓がきゅっと縮み上がり、喉の奥が引きつる。もう放っておいてほしい。朝まで時間をくれると言ったくせに。 ガチャリ。 重たい金属音がして、ドアが開く。「……まだ起きていたの? 莉子ちゃん」 入り口に、神宮寺蒼が立っていた。 片手には年代物のワイングラス、もう片方の手には開栓されたボトルがぶら下がっている。さっきまでの正装ではなく、艶のあるシルクのガウンを羽織っていた。風呂上がりなのか、石鹸の匂いと共に、どこか湿った空気をまとっている。そのリラックスした様子が、ここが彼の城であり、私が囚人に過ぎないことを無言で強調していた。「……何の用?」 私は毛布を顎まで